梅宮辰夫さんといえば
いつも肌黒い顔立ちやあの貫禄のある体系から
病気とは無縁との感じを受けると思いますが
実は今から約40年前に1度、肺がんを患って以来
現在までずっと梅宮辰夫さん、がんと闘っているという意識で生活をしているようです。

 

 

 

今回はそんな梅宮辰夫さんの病気(がん)との闘いについて
時系列にまとめてみました。

 

 

梅宮辰夫 病気(がん)との闘いについて時系列にまとめてみました

 

(画像引用元 https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/03/04/kiji/20180303s00041000238000c.html)

 

 

冒頭でも書きましたが
梅宮辰夫さん今から40年ほど前にがんを患ってから
現在までずっと、がんと闘っているという意識で生活をしているとのことです。

 

 

なぜそこまで「がんを意識しながら生活を送っているのか」
それは梅宮辰夫さんの親戚はがんで亡くなった人が多いこともあり
がん(病気)に対しては普通の人よりも気を使って生活しているようです。

 

 

これは梅宮辰夫さんに限らず梅宮アンナさんも意識しており
以前ブログでも

 

「癌家系だから私が癌になっても不思議はない。行かなきゃ、検診へ」
自戒を込めた書き込みをしているくらいですからね。

 

もちろん梅宮辰夫さん
がんだけに対してではなく
例えば、風邪を引いても『風邪くらい…』なんて言わずに
きちんと病院に行ったりしていたようですね。

 

 

それぐらい健康に対しての意識は
普通の人よりも多かったことが感じ取れます。

 

 

梅宮辰夫の病気「睾丸がん」

1974年に「睾丸がん」を患いました。
梅宮辰夫さん当時30代半ばですね。

 

 

実はこの梅宮辰夫さんの「睾丸がん」ですが
当時公表していなかったようですね。

 

 

なのでこの「睾丸がん」に関する梅宮辰夫さんの記事を探してみても
公表していないのか、その後発症する「肺がん」との情報が混ざった感じの
記事が多くみられます。

 

 

たしかに「睾丸がん」から「肺がん」へと転移してしまいますが。。

 

 

「睾丸がん」に関しては
2018年5月31日に放送された「ダウンタウンDX」で
梅宮辰夫さん本人が語っている動画があるのでご紹介いたします。

 

 

 

 

 

 

この動画で、梅宮辰夫さん
「睾丸がん」の際は公表しなかった理由として

 

現在の梅宮辰夫さんがはすごい真面目だけど、昔はすごい女ったらしで有名だった。
そのうえであの頃に睾丸がんとか言ったら
世間の人は『そりゃ、ウメタツじゃなるわな』と言われる恐れがあったので
そのような「風評が立つのがいやだったんで、ひた隠しにした」そうです。

 

 

 

さらにその「睾丸がん」ですが
「がんだとは知らずに町医者に睾丸を切除してもらった」こと。
そして「異様な状態だったんで後日、大病院に持って行ってみてもらったら
『どういうとり方したのですか?』と言われ、近々肺がんになります(肺に転移する)と言われた」ことを話していますね。

 

 

その後、実際には梅宮辰夫さん
肺がんを患っています。

 

梅宮辰夫の病気「肺がん」

その後
梅宮辰夫さん「睾丸がん」から
がん細胞が肺まで転移していたため「肺がん」を患います。

 

 

診断では「余命3ヶ月」と診断されたようですね。

 

 

 

時期ですが
梅宮アンナさんのブログには

 

「私が満1歳の時でした。。」と書かれているので
梅宮アンナさん 1972年8月20日生まれなので

 

 

1973年あたりでしょうか。。
となると「睾丸がん」が1974年と言われてますし
1973年~1974年あたりに「睾丸がん」と「肺がん」を患ったようですね。

 

 

 

では「余命3ヶ月」と診断された「肺がん」ですが
深刻な状況にもかかわらず、手術はせずに
抗がん剤による化学療法によって治癒されたようですね。

 

 

 

さらにこの抗がん剤治療で、普通なら脱毛症状などの副作用が
出てくるのですが、梅宮辰夫さん全く起こらなかったそうで
主治医を驚かせたそうですね。

 

 

当時の梅宮辰夫さんの「肺がん」の様子を
梅宮アンナさんのブログにも書かれています。

 

外科的な処置は行わず、祖母の判断により、放射線治療になって。。

父は、放射線を人の3倍を浴びて。。。

だるさと嘔吐はあったものの、髪の毛は、抜けなかったと。。。治療の甲斐あって今に至る。。

今の時代の様に情報や知識がない時代ですから、

当時母が父の病名を知ったのは何と、一年後だったそうです。。。

母の性格からすると、知らない方が良かったんだなぁ~と。。

引用:https://ameblo.jp/umemiyaannna/entry-12077740786.html

 

 

梅宮アンナさんのブログを読んで

 

「父は、放射線を人の3倍を浴びて。。。」この一文と
「髪の毛は、抜けなかった」この一文が梅宮辰夫さんの凄さが感じ取れます。

 

 

さらに
奥さんの梅宮クラウディアさんは梅宮辰夫さんが「肺がん」とは
知らなかったことにもビックリですね。

 

 

今だったらネット社会ですから
バンバン情報を知ることができますからね。

 

 

梅宮アンナさんのブログ

 

 

梅宮辰夫の病気「肺がん」父親の次郎は

 

ちなみにこの梅宮辰夫さんの「肺がん」ですが
NHKの「ファミリーヒストリー」で梅宮辰夫さんの特集を放送した時

 

 

梅宮辰夫さんの父・次郎さんは
息子(梅宮辰夫)がガンになり、それを救えないのかと
我慢に我慢を重ねてきた父(次郎)は、酒の席で
大泣きをしたというエピソードを梅宮辰夫さんの妹が聞いていたという。
さらに父次郎は、ツテを頼って、専門医を探し、息子の治療を頼んだ。

 

と、いうエピソードを放送していましたよ。

 

 

こちらがその「ファミリーヒストリー」で出演した際の
梅宮辰夫さんの妹さんですね。

 

(画像引用元 http://new22nozawa.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-84d2.html)

 

 

そしてこちらが梅宮辰夫さん父親の次郎さんです。

 

(画像引用元 http://new22nozawa.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-84d2.html)

 

 

エリート医師だったようですね。
実は梅宮辰夫さんも父と同じく医師を目指し医学部を受験しますが失敗。
結局、日本大学法学部に進みます。

 

 

梅宮辰夫の病気「肺がん」後 生活を一変させた

 

完治された梅宮辰夫さんですが
この「肺がん」から生活環境を180度かえ

 

 

夜遊びを止め、酒を減らし、早起きして料理に励むようになったそうですね。

 

 

それまでは
梅宮辰夫さんと言えば
銀座を毎晩のように飲み歩き、数々の女性と浮名を流してきた「プレイボーイ」。
梅宮アンナさんが生まれた後もこのような生活を続いていたそうです。

 

 

しかしこの「肺がん」から生活を見直すこととなり
もともと料理が得意だったこともあって
率先して家事も担当していたといわれている。

 

 

当時ことを梅宮辰夫さんも
「北九州市合同同窓会 二度目の成人式」にゲスト出演した際に

 

「実は病気をしましてね。肺がんになったんです。
で、俺はがんで死ぬな、早死にするなと思った」

 

 

そのため

 

「なるべく1分1秒でも家族と一緒にいようと。(それで)ものすごく生活がまじめになった。酒もやめ、飲みにもいかない。仕事が終わったらまっすぐうちに帰る。おかげで友達がいなくなったね(笑)。うちでは家族のために料理つくって、あとは仕事に行ってお金を稼ぐだけ。ものすごいまじめになった」

 

と、家族と過ごす時間に気を配るエピソードを語っていました。

 

 

それと
親戚をがんで亡くなった人が多いことも
このような生活変化をもたらしたんもでしょうね。

 

梅宮辰夫の病気「骨折」

 

2002年梅宮アンナさんが娘の
梅宮百々果(うめみやももか)さんを出産した時に

 

梅宮辰夫さん北九州で釣りの最中に防波堤から船に乗る時つまずいて
胸の骨を7本折ったようです。

 

 

その後、梅宮辰夫さん北九州からに緊急搬送され東京へ
梅宮アンナが対面した時はICUに入っていたそうで

 

そんなICUに入っている梅宮辰夫さんをみて
梅宮アンナはこの時「もう終わりかな」と思ったようですね。

 

 

ちなみに余談ですが
娘の梅宮百々果さんは2001年に結婚した
元飲食店経営の一般人の方です。
羽賀研二さんではないです。

 

しかし毎日喧嘩が絶えず出産する時には
離婚することを決めていたそうで
実際、離婚が成立したのは2003年のことです。